関西学院 災害復興制度研究所

頑張れ東日本 阪神からのメッセージ
宮城県松島町現地ボランティア (3/23〜25) 【関准教授】
2011/3/23
  

第2回兵庫県ボランティア先遣隊(ひょうごボランタリープラザ) 参加

 

日  程:2011年3月23日〜25日(現地活動は24日)
派遣先:宮城県松島町

 

松島町は、相対的に被害が少なかったのですが、それでもガソリンに並ぶ車や、水を求めて給水所に来る子どもたちなど、かなり大変な生活を送られていることが推察されました。

今回は、ひょうごボランタリープラザのバスで現地入りしました。2回目の派遣では第1回の時に出た「温かいもの」というニーズに応えるため、炊き出しをメインにしました。

 

【行程】

 9:00

現地到着

豚汁、カレー、コロッケ、おでんに別れて準備
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水は結構使えたので、準備はスムーズ

 

避難所について

松島町立運動公園内の温水プール美遊
一時は300人くらいが避難

現在は18日に電気が通ったので、120人くらい
私たちが到着した時は、家の片づけ、終業式のために50人くらい。主に高齢者。
高齢者は、終日することも無い様子。ひと組の老夫婦は、お父さんが寝たままで、お母さんに起きるよう促されていた。
食料はおにぎりが1日、一人2個程度ということもあるようだ。先日、牛乳を差し入れしてもらったが、みんながおなかを下してしまった。

松島町の副町長さんは宮城県からの出向してきた人で、この4月に本庁に戻る予定だった。大学は関西大学ということで、阪神淡路大震災時には鷹取で支援活動をしていた。その後、中越地震などにも災害派遣された。

 

11:00

炊き出しを前倒しで開始
豚汁、カレー500食を用意
避難所の人だけでなく、手樽などの別の地区へも配食要請。役場職員?が持って行く。
カレー、コロッケが人気。高齢者も。
出てこられない人は、避難所の人同士で人数を連絡し合う。被災者中で、ボランティアを買って出ている人もいるようだ。
持っていった一人の高齢の女性は、「こんなの本当に久しぶりだ。感謝感激雨あられ」といって、喜んでくれていた。一人で入っている人も多いようだ。
おでんはパックに入っていたので、持ち帰る人も多い。

 

12:00

この頃 ピーク。水をもらいにきた人がついでにもらって行ったりする。
みんな一様に美味しく食べてくれる。

小さな子供から高校生くらいまでの子供達とボランティアの学生などが遊び始める。
帰るまで、名残りおしそうだった。

 

14:00

泥かきへ。水と土のうなどを持って行く。
松島海岸の店へ。店主人で泥かき中。店の鉄板などを外へ。倒れた倉庫の解体。
潮のにおいが混ざり、独特のにおい。

 

15:50

作業終了。バスがくるまで、話しをする。
津波は地震後、20分ぐらいできたそうだ。胸当たりの高さ。
ここは自分が生まれた家で、ここを離れる気はない。
ただ、ある程度片付くと怪しい人がきかねないので、今日からは車で店の前で寝泊まりをする。
店の奥にある住宅はぐちゃぐちゃのまま。つるしておいた服も油の匂いがして着れらない。
一人でやっていると、気が滅入ってくる。なので、今日みんなが来てくれて、話しをして、かなり元気が出たといってくれた。

 

17:00

着替えなどを済ませて、帰途に。その際、避難所の人々が見送りに出てくれる。
最後まで手を振ってくれていた。

 

 

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